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「なんとなく良い」をAIに渡せますか——暗黙知と言語化の間で考えたこと

「なんとなく良い」をAIに伝えられない理由——暗黙知を言語化する思考術 AI
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皆さん、こんにちは!てつやです。

先日、気になる対談記事を読みました。

山口周氏と深井龍之介氏による新著『人文知は武器になる』(文春新書)の内容を紹介した記事です。テーマは「日本人のセンスの良さ」。その中に、こんな一節がありました。

深井氏がこう言うんです。日本人は、中長期的な合理性を「身体感覚」として判断できる。言語化しない、言語化できないんだけど、判断できてしまうし、実践もできる——と。

読んだ瞬間、胸の奥になんとも言えない引っかかりを覚えました。

驚きでも、反論でもない。もっとじわじわとした、冷たい違和感のようなもの。

なぜ引っかかったのか。しばらく考えて、ようやく気づきました。

私はこの1年、「言語化することに価値がある」と信じてブログを書き続けてきた人間だったからです。そしてその途中で、言語化の「限界」にもぶつかってきた。

その体験が、深井氏の言葉と静かにぶつかったのでした。


私たちは「説明できないまま」判断している

説明できない感動は、言語化の前に確かにある
説明できない感動は、言語化の前に確かにある

ブログを始めた頃の話をさせてください。

趣味の車中泊で、夜中に素晴らしい満天の星空に出会ったことがありました。

翌日、その感動を記事にしようとパソコンに向かいました。「静寂の中、降り注ぐような星の光が、まるで宝石をちりばめたように……」と書き始めたとき、妙な違和感を覚えたんです。

文章として整えるほど、あの夜の感覚から離れていく。

「違う、これじゃない」という感覚だけははっきりあるのに、正しい言葉が出てこない。

何が違うのかを説明しようとすると、またずれる。そのずれを説明しようとすると、さらにずれる。

あの体験を通じて実感したのは、「なんとなく違う」という判断は、説明の前に確かにある、ということでした(第2回)。

深井氏が言う「身体感覚で判断できる」というのは、まさにこのことかもしれない。

正しいかどうかを、説明できる前に感じ取っている。 良いかどうかを、根拠を言える前に判断している。

これは日本人に限った話ではないはずです。ブログを書いてきた人なら、一度は経験があるのではないでしょうか。

「この記事、なんかいまいちだな」——そう感じたとき、その「いまいち」を説明できますか?


AIには、「なんとなく良い」が伝わらない

人間の「なんとなく」は、AIの入り口に届かない
人間の「なんとなく」は、AIの入り口に届かない

ここで、問題が起きます。

AIを使い始めると、すぐ気づくことがある。AIは「なんとなく」を受け取れない、ということです。

「なんとなくいい感じにして」と伝えても、AIは動けません。「もう少し柔らかいトーンで」と伝えても、「柔らかい」の定義が人によって違えば、期待通りにはなりません。

AIが扱えるのは、言語化されたものだけ。

これは技術の問題ではなく、構造の問題です。AIという道具の仕組みとして、そうなっています。

だとすると、こういう衝突が起きる。
人間は「なんとなく良い」を感じられる。
でもAIは「なんとなく良い」を扱えない。

山口氏が対談でこう指摘していました。日本人の強みである「非言語的な判断力」が、ビジネスの場では「言語化せよ」と求められることで、かえって発揮しにくくなっている——と。

思い当たる節は、ありませんか。「なんとなくこの方向は違う」と感じていたのに、説明できないから言えなかった。そういう場面が、現役時代に一度や二度はあったのではないでしょうか。

これはAIの文脈でも同じです。

センスがある。良し悪しをわかっている。でも言語化できないから、AIに渡せない。

暗黙知をAIに渡すには、いったん言語化するという変換工程が必要になる。


言語化は、思考の「出発点」ではなく「翻訳作業」だ

言語化とは翻訳だ。感覚を壊さず言葉の器に移し替える
言語化とは翻訳だ。感覚を壊さず言葉の器に移し替える

ただし、誤解してほしくないことがあります。

「言語化できないから、とにかく言語化しよう」というのは、少し違う。

星空の体験に戻ります。あの夜の感動を「言語化しよう」と頑張っても、うまくいきませんでした。でも「写真1枚」を加えたとき、伝わった。

言葉で届かない領域を、別の手段で補う(第3回)。

言語化は、感覚をそのまま言葉に変換する作業ではありません。感覚の「どの部分を」「どの言葉で近似するか」を探る作業です。

そう、翻訳に近い。

翻訳は、原文を壊して別の言語に移すのではなく、意味を保ったまま別の器に移し替える技術です。言語化も同じで、感覚を壊して言葉に押し込めるのではなく、感覚のどこかを言葉の形に写し取ります。

だから「言語化しなくても判断できる」という深井氏の指摘は、「言語化するな」という話ではない。

判断の種火は、言語化の前にある。 でもAIに渡すには、その種火を言葉の形に翻訳しなければならない。


AI時代に問われているのは、「使う技術」より「翻訳する技術」だ

暗黙知をAIに渡す唯一の道は、翻訳する技術にある
暗黙知をAIに渡す唯一の道は、翻訳する技術にある

対談では最後に、AI時代における「人文知」の価値が語られていました。

AIの進歩で「正解」が揺らぐ時代、人文知がビジネスパーソンの武器になる——と。

私はこれを読んで、少し別の角度から考えました。

AI時代に本当に問われているのは、AIを使う技術ではないかもしれない。

自分の暗黙知を、AIに渡せる言葉に翻訳する技術——それが問われているのではないか。

「良い記事だと思う」「このデザインはなんか違う」「このプランは長期的に見てまずい」——こうした判断を持っている人は、たくさんいます。でも、それをAIへの指示に変換できる人は、まだ少ない。

ブログを始めた頃の私がそうでした。言いたいことはある。でも言葉にならない。そのもどかしさを、1年かけて少しずつ解きほぐしてきた(第1回)。

そのプロセスそのものが、AI時代の「考える技術」の核心に重なっている気がします。

深井氏が言う「日本人のセンス」は、そのままではAIに渡せない。でも、翻訳の技術を持てば、武器になる。

暗黙知を言語化する技術。 AIを使う前に、整えるべきもの。

これが、「考える技術とAI」というテーマを発信し続けている私の、今の核心です。


あなたの中に「なんとなく良い」「なんとなく違う」という判断はありますか。 その感覚を、AIにそのまま渡せると思いますか。


この問いの順番を、「考える技術とAI」シリーズでは一つずつ整理しています。

👉 考える技術とAIシリーズはこちら

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、また次の記事でお会いしましょう!


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プロフィール
この記事を書いた人
てつや

昨年3月に定年を迎えた60代ブロガーです。
「やってみた!」で人生を埋め尽くすことをテーマに、
長年先送りにしてきた興味や関心ごとに挑戦しています。

ブログでは、

・PC・ガジェットの活用術
・AIツールを活用したブログ運営の工夫
・60代からの学び直し
・車中泊や読書など、日々の小さな体験記

を中心に、実体験をもとにした“等身大の情報”を発信しています。

同じように“新しい一歩”を踏み出したい方の背中を
そっと押せるような発信を目指しています。

【運営:TetsuCreate】
【Update:2026/5】

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