皆さん、こんにちは。てつやです。
以前、「気づく人」が損する職場の罠という記事を書きました。善意で拾った仕事が、いつの間にか「あの人の役割」に変わっていく――そんな話でした。
先日、Forbes JAPANのある記事を読んでいて、ふと手が止まりました。
「ハイパフォーマーが真っ先に捨てる習慣」というテーマの中に、こんな一節があったのです。
「ヒロイックな対応」や「土壇場の救済」を報いることをやめる。
これ、前に自分が書いた話と、根っこは同じじゃないか。そう感じました。
皆さんの職場にも、こんな場面はありませんか?
「また○○さんが土壇場で助けてくれた」
「あの人に頼めば、なんとかしてくれる」
一見、頼もしい話に聞こえます。でも、この“頼もしさ”の裏に、実は前回の記事と同じ罠が隠れているのかもしれません。
今日は、その続きを少し書いてみたいと思います。
何度も「救ってしまった」あの日々

前回の記事では、標準プラットフォームを使った業務改善を、いわば「調整役」として買って出た話をしました。
実は、その話には続きがあります。
システムを構築し、運用ルールを整えたあとも、トラブルは時々起こりました。急な仕様変更、担当者の異動、想定していなかった使い方……。そのたびに、なぜか私のところに連絡が来るようになったのです。
「すみません、また例のシステムで動かなくなって……」
「これ、てつやさんじゃないと分からないので」
最初のうちは、正直、悪い気はしませんでした。頼られている、必要とされている。そう感じられたからです。
でも、あるとき気づきました。
同じようなトラブルが、何度も同じパターンで起きているのです。原因を根本から直せば、二度と起きないはずのトラブルなのに、その場しのぎの対応を繰り返しているだけでした。
なぜかというと、私が“その場で何とかしてしまう”からです。
トラブルが起きる → 私が駆けつける → なんとか収める → みんな安心する → また同じことが起きる。
このループの中で、誰も「なぜこの問題が繰り返されるのか」を立ち止まって考えなくなっていました。私も含めて、です。
「拾う人」と「救う人」は、同じコインの裏表だった

前回の記事を書いたときは、「気づいた人が仕事を拾ってしまう」という、自分自身が“やる側”の視点で書きました。
でも、今回改めて振り返ると、少し違う景色が見えてきます。
前回の話は、いわば「日常の小さな業務が、いつの間にか義務になっていく」パターンでした。今回の話は、「突発的なトラブルをいつも同じ人が土壇場で収めてしまう」パターンです。
現象としては違って見えます。でも、構造はそっくりです。
- 誰かが(善意で、あるいは能力ゆえに)問題を引き受ける
- 周囲は「あの人がやってくれる」と学習する
- 仕組みを直す必要がなくなる(ように見える)
- 引き受けた本人だけが、静かにすり減っていく
前回は「拾う人」自身がどう自分を守るか、という当事者の目線で書きました。今回は、「なぜ組織はそれを放置し、むしろ称賛してしまうのか」という、見る側・評価する側の目線から考えてみたいと思います。
なぜ「火消し」ばかりが目立ってしまうのか

これは、私自身の反省でもあるのですが、当時の私は「トラブルを収めること」にばかり気を取られていました。
考えてみれば当然のことかもしれません。
トラブルが起きて、それを収める。これは目に見える成果です。感謝される瞬間も、はっきりしています。「助かりました」「さすがですね」という言葉は、その場ですぐに返ってきます。
一方で、「そもそもトラブルが起きない仕組みを作る」という仕事は、地味です。うまくいって当たり前。何も起きなければ、誰にも気づかれません。むしろ、「トラブルが起きなかったこと」に対して、感謝されることはほとんどないのです。
つまり、組織の中では、
- 火を消す人 → 目立つ、感謝される、評価されやすい
- 火が起きない仕組みを作る人 → 目立たない、気づかれにくい
という非対称が、自然と生まれてしまいます。
そしてこの非対称こそが、「同じ人がいつも救う」構造を知らず知らずのうちに強化していたのだと、今になって思います。私が“頼られること”に、少しだけ心地よさを感じていたことも、正直に認めなければなりません。
火消しに頼らないために、できること

では、この構造から抜け出すには、どうすればよかったのか。
当時の自分に伝えるとしたら、こんなことを言いたいと思います。
トラブルが収まったあとに、一度立ち止まって振り返る
「今回は何とかなった。でも、そもそも何がこれを緊急事態にしたのか?」
その場をしのいで終わりにするのではなく、収まった直後だからこそ、原因を一緒に振り返る時間を作る。これができていれば、同じトラブルを何度も繰り返さずに済んだかもしれません。
「自分にしかできない」を減らしていく
頼られることは嬉しいものです。でも、「自分にしかできない」状態を放置すると、それは自分自身を縛る鎖にもなります。手順を書き残す、誰かと一緒に対応する。任せることは、丸投げではなく、周りの力を育てることでもあるのだと、今なら思えます。
迷ったときの判断基準をあらかじめ決めておく
トラブルのたびに、その場でゼロから判断していると、結局いつも同じ人(判断に慣れている人)に負担が集まります。「こういうときはこう対応する」という最低限のルールを平時のうちに決めておく。それだけで、土壇場での“ヒーロー頼み”は、かなり減らせるのかもしれません。
「判断の地図」とのつながり

こうして振り返ると、「土壇場の判断に頼らない仕組み」を作ることは、実は私が別の記事で書いている「判断の地図」の話ともどこかつながっている気がします。
有事にその場で判断するのではなく、平時のうちに考えを整理しておく。それは、AIとの向き合い方に限らず、職場のトラブル対応にも、案外そのまま当てはまるのかもしれません。
このあたりは、また別の機会に、じっくり書いてみたいと思っています。
おわりに:気づく人とヒーロー、両方潰さない職場へ

前回の記事では、「気づいてしまう人」が善意ゆえに損をしてしまう罠について書きました。
今回の話は、その裏側にあった、もうひとつの罠です。「土壇場を救える人」もまた、同じように、静かにすり減っていくことがあります。
どちらも、悪意から始まったわけではありません。むしろ、善意や責任感、能力の高さから始まっています。だからこそ、厄介なのだと思います。
もし今、あなたの職場にも「いつも同じ人が救っている」場面があるなら。
その人を称賛するだけで終わらせず、「なぜ、この人に頼らなければならない状況が繰り返されているのか」を、一度、みんなで振り返ってみてもいいのかもしれません。
気づく力も、救う力も、どちらも立派な才能です。その才能を持つ人が、義務に押しつぶされることなく、これからも活かし続けられる職場が、少しずつ増えていくことを願っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回の記事でお会いしましょう。

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