皆さん、こんにちは!てつやです。
ブログを書き始めた頃、私は「ブログ=文章」だと思い込んでいました。伝えたいことは、すべて言葉で表現するものだと。
転機は、Windowsの操作説明を書いていたときでした。長々と文章で説明していた手順に、画面のキャプチャ画像を一枚差し込んだだけで、読者から「どこを押せばいいか一瞬で分かりました」というコメントが届いた。
言葉100文字より、画像1枚の方が伝わることがある。
そのとき初めて、道具には特性があり、使い分けることで初めて力を発揮すると気づいた。この感覚が、後になってAIという道具と向き合うときの、静かな土台になっていたと思っています。
「ブログ=文章」という思い込みが崩れた瞬間

操作手順の説明記事を書いていたとき、すべてを文章で説明しようとすると途方もなく長くなる。読んでいるうちに、どこを操作すればいいのか分からなくなってしまう。
そこへキャプチャ画像を一枚入れたとたん、文章が一気にスッキリした。言葉が担っていた「位置を伝える」という役割を、画像が引き受けてくれたのです。
この体験で気づいたことがあります。言葉と画像は、どちらが優れているかという話ではない。それぞれに得意なことと苦手なことがある。言葉は「なぜ」や「どう感じたか」を伝えるのが得意で、画像は「どこ」や「どんな雰囲気」を瞬時に伝えるのが得意。
道具には、特性がある。
特性を知ると、使い方が変わった

この気づきから、ブログの作り方が少しずつ変わっていきました。
車中泊の記事では、「なぜその場所を選んだか」「そこで何を感じたか」は言葉で書く。到着時の景色、車内の様子、湯気の立つコーヒーカップは写真で見せる。複数の道具を比較するときは表を使い、プロセスの流れはフローチャートで示す。
それぞれの道具の特性を理解した上で、役割を割り当てる。そうすることで、言葉だけでも画像だけでもたどり着けない「伝わり方」が生まれてくる。
「補完関係」という言葉がしっくりきたのもこの頃です。対立でも優劣でもなく、お互いの弱点をカバーし合う関係。この感覚が、後の考え方の土台になっていきます。
道具を使い分ける感覚が、AIへとつながった

言葉と写真の使い分けを体験した後、AIという道具と出会ったとき、同じ問いが自然に浮かびました。
AIは何が得意で、何が苦手か。自分が担うべき部分はどこで、AIに任せる部分はどこか。
道具の特性を理解して使い分けるという感覚は、言葉と写真のあいだで育っていました。だからAIが登場したときも、「すごい道具だ、全部任せよう」ではなく、「この道具の特性は何か」という問いから入ることができた。
AIを道具として扱う姿勢の原点は、ブログで言葉と写真を使い分けていた、あの試行錯誤の中にあったと思っています。
この積み重ねが、AI思考の地図の原点になった

書くことで思考を整理する力が育ち、言語化の限界を知り、道具にはそれぞれ特性があると学んだ。どれも、AIと出会う前の話です。でもその積み重ねがあったからこそ、AIという強力な道具を前にしても、自分なりの向き合い方を持てるようになった。
考える技術は、AIを使い始めてから学ぶものではなかった。書き続けた日々の中で、少しずつ育まれていたものでした。
AI思考の地図は、そうした積み重ねの上に、後から形になったものです。
3回にわたる気づきの積み重ねが、どのように「考える技術とAI」へとつながっていったのか。その全体像はこちらのシリーズでまとめています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 それでは、また次の記事でお会いしましょう!
▼ あわせて読みたい
・書くことが、考える技術の原点だった
・言葉にできないことがあると知った
・言葉と写真、それぞれの役割を知った日(本記事)

コメント