皆さん、こんにちは!てつやです。
最近、「デジタル教科書より、紙を」という主張を読みました。東大の教授が、教育現場のデジタル化に警鐘を鳴らしている記事でした。
読みながら、正直なところ、素直にはうなずけませんでした。
「紙か、デジタルか」で割り切れなかった理由

私自身、紙とデジタルのどちらか一方を選べるほど、単純な立場にはいません。
仕事では、ここ数年、資料を紙に印刷する機会がほとんどなくなりました。プライベートでも、パソコンとスマホをまたいで情報を共有するには、電子データの方が圧倒的に便利です。保存も、検索も、共有も、デジタルにはかないません。
だから、「紙が良くて、デジタルが悪い」とは、私には思えないのです。
とはいえ、モヤっとしたものも残ります。
それでも、紙に戻ってしまう瞬間がある

長文の資料を添削するとき、私は今でも紙に印刷します。
画面でスクロールしながら読むより、紙を広げた方が、全体を見渡せる。前後の関係が一目でわかりますし、気になったところに、すぐ書き込めます。
思えば昔は、小さな手帳を一冊持ち歩いて、そこに全部の情報を集約していました。手帳を開けば、そこに自分の考えがある。そんな感覚でした。
そのせいか、手書きした情報の方が、記憶に残っている気がします。根拠のある話ではありません。でも、経験的には、たしかにそう感じるのです。
今も、電子ペンが内蔵されたスマホを選んでいます。手書きでメモができる環境だけは、意識して残しています。
保存や共有はデジタルに任せながら、書くという行為だけは、なぜか手放せずにいる。
便利なデジタルを使いながら、私はなぜ、手書きだけは残しているのでしょう。
「紙が良い」のではなく、使い方が違うのかもしれない

紙とデジタル、どちらが学習や理解に向いているか。調べてみると、研究によって結果にばらつきがあるようです。「紙なら必ず優れている」と、単純に言い切れるものではなさそうです。
一方で、手書きとキーボード入力では、情報の記録の仕方そのものに違いが生まれる、という指摘もあります。
キーボードは、話されたことや思いついたことをそのまま大量に記録できます。速いです。
手書きは、そうはいきません。書ける量が限られるから、何を書くかを選ばなければならない。要約しなければならない。つまり、書く前に、自分の中で一度、情報を処理する場面が生まれるのです。
もしかすると、私が感じていた「手書きの良さ」は、紙そのものではなく、手書きするときに自分がしていること、なのかもしれません。
AIが登場して、変わったこと

これまでのデジタル化は、保存・検索・コピー・編集・共有を便利にしてきました。情報を「外に置く」ための進化だったと言えます。
ところがAIは、それだけでは終わりません。
整理する。要約する。比較する。アイデアを出す。言葉にする。文章にする。
AIは、情報を外に置くだけでなく、「考える作業」の一部までも、外に置けるようにしてしまいました。
これは、これまでのデジタル化とは、少し質の違う変化のように思います。
「便利」と「考える」は、同じではなかった

誤解のないように言っておくと、私はAIを否定していません。むしろ、自分自身、日常的にAIを使っています。便利だと思っています。
だから、問題は「AIを使うか、使わないか」ではないのだと思います。
問題は、何をAIに渡して、何を自分で考えるのか、という部分にあります。
「AIに頼ると、考える力が落ちる」という話をよく見かけます。認知的な作業を外部に任せることを専門的には「認知的オフローディング」と呼ぶそうです。
ただ、これも一概には言えない気がしています。AIを自分の代わりに考えてもらう道具として使うのか。それとも、自分の考えをもう一段深めるための足場として使うのか。同じAIでも、使い方によって、意味がまったく違ってくるように思うのです。
手書きをもう一度見直してみる

ここで、もう一度、手書きに戻ってみたいと思います。
手書きを「答えを書くための道具」だと思っていました。でも、そうではないのかもしれません。
むしろ、まだ言葉になっていない自分の思考をそのまま外に出すための道具、と捉え直した方がしっくりきます。
たとえば、こんな流れです。なんとなく気になる。何が気になる? 前にも似たことがあった気がする。もしかして……。
これは、まだ文章にすらなっていません。答えでもありません。ただの、思考のかけらです。
手書きには、まだ答えになっていないものをとりあえずそのまま置いておける余白があるのかもしれません。これは科学的に確かめたことではなく、あくまで自分の経験から出てきた、ひとつの仮説として書いておきます。
AIに渡す前に、余白を置く

いきなりAIに「このテーマについて記事を書いて」と頼むこともできます。実際、それで十分なときもあります。
ただ、私は最近、その前に一段階、自分の手を挟むようにしています。
まず、紙に「何が気になっているんだろう?」と書いてみる。それから、AIに渡す。
手書きで、自分の考えや違和感、問いをまず外に出す。それをAIに渡して、整理し、展開し、比較し、言葉にしてもらう。そして出てきたものを自分で判断し、修正し、さらに深掘りする。
これが唯一の正解だとは思いません。ただ、今の自分にとっては、この順番が、AIとの付き合い方としてしっくりきています。
「どちらか」ではなく、「役割分担」で考える

冒頭の問いに戻ってみます。
紙が良いのか、デジタルが良いのか。改めて考えると、その問い自体が、少しずれていたのかもしれません。
保存や共有、検索や大量の情報を扱うことは、デジタルに向いています。全体を眺めるのは、紙でも画面でも構いません。自由に書き込んだり、まだ言葉にならないことを考えたりするのは、手書きが向いています。整理し、比較し、展開するのはAIの役目で、最後に判断するのは、やはり自分です。
紙かデジタルか、ではありません。それぞれの道具に、それぞれの役割を持たせればいい。そう考えると、少し楽になります。
AI時代に、自分の手で残しておきたいもの

だから、「紙を使いましょう」で終わらせるつもりはありません。
「AIは危険だ」と言うつもりもありません。
私はこれからも、デジタルを使い続けると思います。便利だからです。
ただ、便利だからこそ、すべてをAIに渡してしまわないようにしたい。
特に、まだ言葉になっていないこと。自分でも、何を考えているのかよくわからないこと。そういうものについては、しばらく自分の手で書いてみようと思っています。
AIが文章を書いてくれる時代に、私たちは何を自分の手で書くのでしょうか。
この問いに、まだ自分の中でも、はっきりした答えがあるわけではありません。ただ、考える手がかりになりそうなものが、いくつかあります。
今回、話の出発点にあったのは、AIに渡す前に「自分は何を考えているのか」を手で書き出してみるということでした。この「問いを育てる」という視点については、以前にも書いています。
今回は、何を自分で考え、何をAIに任せるか、という役割分担まで考えました。では、その「自分が考えたいこと」を実際にAIにどう渡せばいいのか。そのための整え方をもう少し具体的にまとめた記事があります。
👉 AIを使う前に整える地図(有料note)
この問いの続きを「考える技術とAI」シリーズでは一つずつ整理しています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、また次の記事でお会いしましょう!
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