皆さん、こんにちは!てつやです。
最近も、AIまわりのニュースを追いながら、いろいろな記事を書いています。今日は、その中で特に考えさせられた話を紹介します。
「正しい方法」を探して、なかなか始められない

AIの使い方が分からない。 情報収集ばかりしてしまう。 正しい方法を探している。 なかなか実際に動けない。
こういう状態に、心当たりはないでしょうか。
「調べれば調べるほど、かえって動けなくなる」というのは、AIに限らず、新しいことを始めるときによく起きることかもしれません。ただ、AIの場合は情報そのものが日々更新されていくので、この「調べる沼」に、より入り込みやすいようにも感じます。
「これだけ情報があるのだから、調べれば正しいやり方が見つかるはずだ」という前提そのものが、実は動けなくなる原因になっていることもあります。正しいやり方を探すことに時間をかけているあいだに、試しに手を動かしてみた人のほうが、先に何かを掴んでいる。そんな場面を見かけたことがある方もいるのではないでしょうか。
これは、「AIの知識が足りない」というだけの話ではないのかもしれません。
「正解を探す」と「最適解をつくる」の違い

先日、日本とインドの教育環境の違いを扱った記事を読みました。
正しい答えを再現しやすい環境で育てば、決められた手順を踏んで正しい答えにたどり着く「正解を探す」考え方が身につきます。教える内容や水準が均質であればあるほど、情報を集め、正しさを確認してから動くことが、合理的な行動になるからです。
一方、教える内容や水準にばらつきが大きく、教育だけに頼れない環境で育てば、方法を自分なりに組み合わせ、状況に合わせて結果をつくる「最適解をつくる」考え方が身につきます。学校で教わることだけでは足りないので、自分で不足を補いながら前に進むことが、当たり前になっていくからです。
もちろん、どちらか一方が優れているという話ではありません。それぞれの環境の中で、合理的だったというだけのことです。
なぜ、人によって「考え方の癖」が違うのか

置かれた環境が、「これが当たり前」という感覚をつくり、その感覚の積み重ねが、思考の習慣になっていく。
同じ職場にいても、「まず前例を確認してから動く人」と、「分かる範囲で動きながら軌道修正する人」がいるのも、こう考えると納得がいきます。どちらが正しいというより、それぞれがこれまで育ってきた環境の中で、そのやり方が合理的だったということなのだと思います。
私たちは、自分が身につけてきた「考え方の癖」を、あまり意識していないものです。むしろ、意識しないくらい自然に染みついているからこそ、「これが普通のやり方だ」と思い込んでしまいやすいのかもしれません。
そう思うと、こういう記事を読んだときに、少し立ち止まってみる価値があるように思います。自分の考え方の癖に気づくのは、たいてい、自分とは違うやり方をしている誰かを見たときです。
AIは「情報が足りない」を補えるようにした

これまで、情報や知識が自分の中に不足していれば、それを補うには時間と手間がかかりました。調べる、聞く、経験する。どれも簡単ではありませんでした。
AIに聞けば、知らないことをその場で教えてもらえます。足りない視点を、別の角度から補ってもらうこともできます。自分の考えを言葉にして、整理する手伝いをしてもらうこともできます。
AIは、「答えを出す機械」というより、「不足を補いながら考えるための相手」として捉えたほうが、実感に近いように思います。
AIが答えを増やすほど、「選ぶこと」が残る

AIを使えば使うほど、「Aもあります」「Bもあります」「Cという考え方もあります」と、選択肢が増えていきます。
たとえば何かを調べているとき、以前なら情報が見つからずに止まっていたところが、今はいくつもの案が一気に出てきて、逆に決めきれずに止まってしまう。そんな経験をした方もいるのではないでしょうか。
すると、情報不足による迷いから、選択肢が多すぎることによる迷いへと、迷いの中身が変わっていきます。
これは、決して悪いことではありません。選べるということは、それだけ可能性が広がっているということでもあります。ただ、選択肢が増えた分だけ、「結局、自分はどれを選ぶのか」という問いから、以前より逃げにくくなっているのも事実です。
「最適解」は、誰にとっても同じではない

同じ情報を見ても、置かれている条件が違えば、選ぶものは変わります。
ただ、自分にとっての答えは、自分の条件によって変わる。この認識だけは、持っておきたいところです。同じAIに同じ質問をしても、たどり着く答えが人によって違って見えるのは、AIの精度の問題ではなく、こちら側の条件が違うからなのだと思います。
だから、AI時代には「答えをもらう」だけでは足りない

AIから答えをもらう。
その答えの中から、自分に合うものを選ぶ。
そのためには、自分自身の判断が必要になります。
では、その「判断」を、どう整理しておけばいいのでしょうか。
正直、ここはまだ、私の中でも考えている途中です。
ただ一つ言えるのは、この「判断」の部分を、AIに肩代わりしてもらうことはできない、ということです。AIは材料をいくらでも増やしてくれますが、その材料の中から何を選ぶかは、最後まで自分の役割として残り続けるのだと思います。
まとめ――「正解を探す力」も「最適解をつくる力」も必要

この記事で伝えたかったのは、次のようなことです。
思考の癖は、環境によってつくられること。「正解を探す」ことが合理的な場面もあること。AIによって、情報不足を補いながら考えられる環境が生まれつつあること。その一方で、選択肢の中から「自分に合うものを選ぶ」という問題は、依然として残ること。
AI時代に必要なのは、正解を探すことをやめることではありません。
「これは正解を探す問題なのか、それとも自分で答えをつくる問題なのか」を考えることなのかもしれません。
そして、自分で答えをつくるときには、「自分は何を基準に選ぶのか」という判断が残ります。
その判断について、私は「迷ったときに戻って確かめられる地図」が必要なのではないかと考えています。
そのことを私は「判断の地図」と呼んでいます。よろしければ、こちらもあわせてご覧ください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、また次の記事でお会いしましょう!

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