皆さん、こんにちは!てつやです。
このブログでは、これまで「生き方」について、いくつかの記事を綴ってきました。
今回は少し立ち止まって、それらの記事に共通して流れていた、ひとつの気づきについてお話ししようと思います。
2つの「生き方の指針」を別々に書いてきた

一つは、二人の父の看取りをきっかけに固めた、「『いつか』を今日に変える」という指針でした。健康寿命という現実を知り、楽しみを先送りにしないと決めた話です。会社を辞める必要も、大きな決断をする必要もない。今日できる小さな一歩から始めればいい。そう思い至った経緯を、以前このブログで綴りました。
もう一つは、「足るを知る」という言葉との出会いでした。定年後の働き方や趣味を通して、「ないもの」を追いかけるのではなく、「あるもの」の価値に気づくという指針です。現役時代は、常に何かが「足りない」と感じながら、その「足りない」を埋めることに、多くの時間を費やしてきました。その反動のように、この言葉に強く惹かれたのだと思います。
この2つは、それぞれ別のタイミングで、別の出来事から生まれたものでした。書いていた当時の私は、この2つがつながっているとは、正直あまり意識していませんでした。それぞれ独立した「気づき」として、別々の引き出しにしまっていたのです。
「もっと」を求める心と、「足りている」と気づく心

あらためて言葉にしてみると、この2つは、一見すると反対の方向を向いているようにも見えます。
「いつかを今日に」は、行動する力です。動く、踏み出す、手を伸ばす。目の前にある小さな一歩に向かって、前へ進むためのエネルギーです。
一方、「足るを知る」は、受け止める力です。今あるものを見つめる、味わう、感謝する。新しく何かを追加するのではなく、立ち止まって、内側に目を向ける力です。
前へ進む力と、立ち止まる力。言葉だけを並べると、まるで矛盾しているように感じるかもしれません。実際、私自身、しばらくの間、この2つを別々の引き出しにしまったままにしていました。「先送りしない自分」と「足るを知る自分」を、それぞれ違う場面で使い分けている感覚だったのです。
足るを知っていたから、迷わず一歩を踏み出せた

でも、この2つの記事を書いたあと、時間をおいてあらためて読み返してみて、あることに気づきました。
私が「いつかを今日に」変えられたのは、実は「足るを知る」という土台があったからだったのです。
もし「もっと条件が整ってから」「もっとお金や時間の余裕ができてから」という気持ちのままだったら、健康寿命の現実を知っても、きっと動けなかったと思います。「まだ準備が足りない」「もっと余裕ができたら」という理由で、また先送りにしていたかもしれません。
でも、「今の自分の手の中にあるもの」の価値に、すでに気づいていたからこそ、迷わず一歩を踏み出せたのだと思います。何かを新しく手に入れることを条件にせず、今あるものでやってみればいい。そう思えたからこそ、行動へのハードルが、思っていたよりずっと低くなっていたのです。
「ないものねだり」の先送りと、「あるもの探し」の先送り

同じ「先送り」でも、その中身は2種類あるのかもしれません。
一つは、「ないものねだり」の先送りです。もっとお金があれば、もっと時間があれば、もっと条件が整えば。「ない」ものを埋めることを条件にしてしまうと、その条件は永遠に満たされず、「いつか」は来ません。
もう一つは、たとえ「あるもの探し」の姿勢を持っていても、それでも動き出せない先送りです。今あるものに満足していても、そこで足が止まってしまえば、やはり「いつか」のままになってしまいます。「足りている」と気づくことと、「そのうえで動く」ことは、似ているようで、実は別の力なのだと思います。
私が愛車フリードを車中泊仕様にカスタムした時のことを思い出します。真新しいキャンピングカーを買うのではなく、今ある車を活かす。それは「足るを知る」の実践でした。物置の奥にしまい込んでいた古いキャンプ道具を引っ張り出し、磨き直したのも、同じ気持ちからでした。
でも、それだけでは終わりませんでした。「活かせるものがある、だから、やってみよう」と、実際にカスタムに動いたこと。ビルダーに架装を依頼し、自分の手で棚を作り、収納を工夫したこと。この「だから、動く」という部分こそが、「いつかを今日に」の実践だったのです。足るを知るだけで止まっていたら、車は今も、ただの便利な移動手段のままだったかもしれません。
2つの羅針盤は、実は1本の線でつながっていた

こうして振り返ってみると、2つの指針は、対立するものではなく、順番でつながる一続きの生き方だったのだと気づきます。
まず、「足るを知る」で、自分の中にあるものの価値に気づく。そのうえで、「いつかを今日に」で、その気づきを行動に変える。この順番が、私の中では、いつも同じように働いていたのだと思います。
足るを知らないまま行動しようとすると、いつまでも「もっと」を求めて空回りしてしまう。何かを手に入れても、また次の「もっと」が欲しくなり、満たされることがありません。逆に、足るを知っていても行動しなければ、気づきは気づきのまま、何も変わりません。頭では分かっていても、日々の暮らしは、以前と同じままです。
この2つが揃って、初めて「今を生きる」ということが、絵に描いた餅ではなく、実感を伴ったものになるのだと思います。
あなたの中にも、もう両方あるのかもしれない

「いつかやりたいこと」を先送りにしている自分と、「今あるもの」に気づけていない自分。もしかしたら、その両方が、すでにあなたの中にあるのかもしれません。
特別な才能や、大きな決断は必要ないと思います。まずは、今すでに手にしているものを、静かに見つめてみる。それから、そこにある小さな一歩を、そっと踏み出してみる。それだけで、十分なのかもしれません。
あなたの中にある2つの羅針盤は、もうつながっていますか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、また次の記事でお会いしましょう!
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