―― 歴史の誤解は、私たちの日常にも潜んでいる
前編では、幕末や明治維新に関する「歴史の誤解」を通して、「知っているつもり」でいることの危うさについて書きました。
こうした思い込みは、歴史の中だけにあるわけではありません。むしろ、私たちの日常の中にこそ、たくさん潜んでいます。定年後に学び直しを始めてから、私はそのことを何度も実感してきました。

今回は、私自身のブログ「TetsuCreate」でこれまで書いてきた7つのエピソードを、「社会のルール」「言葉の意味」「自分と他者の関係」という3つのテーマに再編成しながら、思い込みを外すことで世界がどう変わったのかをお伝えします。
テーマ①「社会のルール」の思い込み——みんながやっているから正しい?

エスカレーターの片側あけ(第24回)
(第24回:エスカレーターの片側あけは「親切」ではなかった?)
定年後、急ぐ必要がなくなって気づいたのが、エスカレーターの片側あけです。
「関西では右、関東では左を空けるのが正しいマナー」と信じていましたが、JR東日本などは2000年代から「2列で立ち止まりましょう」と繰り返し呼びかけているように、本来のルールはむしろ逆です。
なぜ変わらないのか。それは「みんながやっている」という同調圧力が、本来のルールよりも強く機能しているからです。周囲に合わせることで摩擦を避けようとする心理が、ルールの意味を上書きしてしまう。
幕末の志士たちが「列強は植民地化を狙っている」という誤解に基づいて行動したのと、同じ構造です。「周りがそう言っているから」という根拠だけで、前提を検証せずに動いてしまう。
敬老の日は9月15日?(第8回)
長年「9月15日は敬老の日」と信じていました。しかし2003年のハッピーマンデー制度導入で、敬老の日は「9月の第3月曜日」に変わっています。
知っているつもりで、情報が止まっている——これが「記憶のアップデート漏れ」です。歴史の解釈が研究の進展によって変わるように、社会のルールも静かに更新されています。一度「知った」と思ったことは、もう調べ直そうとしません。それが盲点になる。 この2つのエピソードが教えてくれたのは、「社会のルールも鮮度が大切」ということです。
テーマ②「言葉の意味」の思い込み——本当の意味を知ると世界が変わる

生産性の本質は効率だけではない(第23回)
現役時代の私は、「早く・多く・正確に」こそが生産性だと信じていました。ところが定年後に立ち止まって考えてみると、ゆっくり考える「余白」があるからこそ、仕事や思考の質が上がることに気づきます。効率化はあくまで手段であり、目的ではなかったのです。
「日本の生産性は低い」という言説をよく耳にしますが、その「生産性」という言葉自体の定義を疑ったことはありませんでした。言葉のイメージだけで判断していたのです。
たとえば、時間あたりのアウトプット量だけで測るなら、日本は確かに課題があるかもしれません。しかし、製品の品質、顧客満足、職場の人間関係まで含めて考えると、『生産性』の意味はもっと多層的です。単一の指標で善し悪しを語ることこそ、思い込みの始まりだったのです。
「足るを知る」の本当の意味(第3回)
(第3回:60代の生き方|「足るを知る」の本当の意味とは?)
「足るを知る」という言葉も、単なる「我慢しなさい」という戒めだと長い間思い込んでいました。しかし元の意味を調べてみると、これは「外からの基準ではなく、自分の軸で満足を決める」という非常に主体的な生き方の知恵でした。
歴史において「江戸=古い」という単純なイメージが実態を覆い隠していたように、「足るを知る=我慢」というイメージも、言葉の本当の豊かさを覆い隠していたのです。言葉の本来の意味を知るだけで、目の前の景色がガラリと変わる体験でした。 この2つが教えてくれたのは、「言葉のイメージを疑うことが、思考の柔軟性につながる」ということです。
テーマ③「自分と他者の関係」の思い込み——前提のズレが誤解を生む

認知症になりやすいのは自分勝手な人(第1回)
医療や介護の現場では、認知症のリスク要因として「自分の考えに固執し、新しい情報や他人の話を受け入れない」という柔軟性の欠如が挙げられることがあります。ここでの「自分勝手」とは、わがままという意味ではなく、思考の硬直化を指しています。
歴史の誤解も、日常のすれ違いも、この柔軟性を失ったときに生まれるのかもしれません。「自分はわかっている」という確信が、新しい情報の入口を閉じてしまう。
無言の帰宅で炎上(第10回)
少し個人的な話になりますが、現役時代の私は、帰宅してもろくに会話をせず、無言でテレビを見続けることがよくありました。「疲れているから仕方ない」という自分の前提で行動していましたが、妻の側からすると「無視されている」と映っていたようです。
自分の前提が、相手にとって当たり前ではなかった。夫婦間のすれ違いも、歴史の大きな誤解も、根っこは同じです。「相手も同じ前提を持っているはずだ」という思い込みが、見えない壁を作る。
「8時10分前」って何時?(第6回)
ある朝、スマホでネット記事を眺めていると、こんなタイトルが目に入りました。「8時10分前は7時50分ではない!? 世代間の日本語感覚の違いが生み出す弊害とは」。思わず声が出ました。
私にとって「8時10分前」は、疑いようもなく「7時50分」です。アナログ時計で育った世代には、これ以外の解釈が存在するとは思いもよりませんでした。ところが若い世代の中には、「8時と10分の前」、つまり「8時10分の直前」と読む人がいるというのです。
妻に話すと、「私もテレビで知って驚いたわ」と。二人とも「7時50分」以外は考えられなかったのです。
これは単なる言葉の問題ではありません。「無言の帰宅」のエピソードと同じ構造です。同じ言葉を使っていても、相手の頭の中では全く違う意味に変換されているかもしれない。「伝わったはず」という前提が、実は根拠のない思い込みだった——ここにも同じ落とし穴が潜んでいたのです。 この3つのエピソードが教えてくれたのは、「他者との前提のズレに気づくには、自分の言葉や常識が普遍的だという思い込みを疑うことから始まる」ということです。
3つのテーマに共通する「思い込みの構造」
こうして振り返ってみると、7つのエピソードはすべて同じ構造を持っています。
- 「みんながそうしている」という同調(エスカレーター・敬老の日)
- 「一度知ったら更新しない」という惰性(生産性・足るを知る)
- 「相手も同じ前提を持っているはず」という誤解(無言の帰宅・認知症の話)
歴史の大きな誤解も、日々の小さな勘違いも、根っこは「前提を疑わない」という同じ習慣から生まれていると、改めて感じます。
60代からの学び直しで得たもの
定年後の学び直しを通じて、私は3つのことを得ました。
一つ目は、柔軟性です。「知っているつもり」を疑う習慣がつくと、新しい情報に対して開かれた姿勢が生まれます。
二つ目は、新しい視点です。同じ出来事でも、前提が変わると見え方がまるで変わります。「連続か断絶か」という視点を得た途端、江戸から明治の歴史が全く違う顔を見せたように。
三つ目は、自分の価値観の再構築です。「足るを知る」の意味を知ったとき、定年後の自分がどう生きたいかという問いに、新たな角度からアプローチできました。
最近はAIとの対話も学び直しに取り入れています。「なぜそう思うのか」「別の見方はないか」と問いかけると、自分では気づかなかった前提を言語化する手助けをしてくれます。
たとえば、『足るを知る』について考えていたとき、AIに『この言葉の対義語は何か?』と問いかけたことがありました。『足りないと焦る』『際限なく求める』といった答えから、改めてこの言葉の射程の広さに気づきました。
書くこと、対話することが、思い込みを外すプロセスを加速させてくれると感じています。
後編のまとめ

定年後の学び直しは、単に知識という荷物を増やすことではありません。むしろ、古い思い込みという荷物を下ろして、心の柔軟性を取り戻す時間なのだと思います。
思い込みを一つ外すたびに、世界は驚くほど軽くなります。歴史の誤解を知ったことをきっかけに、私は日常の中にある「思い込み」にも、より敏感に気づけるようになりました。
これからも、「TetsuCreate」を通して、自分を更新し続ける旅を楽しんでいきたいと思います。
あなたにも、『知っているつもり』で疑ったことのない常識はありませんか?
もしあれば、ぜひ一度立ち止まって、『本当にそうだろうか?』と問いかけてみてください。その小さな問いが、新しい世界への扉を開いてくれるかもしれません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 てつやでした。
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