―― 歴史の誤解から気づいた「思い込みの正体」
皆さん、こんにちは!てつやです。
定年を迎えてから、これまで「当たり前」だと思い込んできたことを一つひとつ見直す機会が増えました。学び直しを始めてみると、信じて疑わなかった知識が、実はそうではなかったと気づく場面が本当に多いのです。
最近、Japaaanというウェブメディアで、幕末と明治維新に関する2つの記事(※1・※2)を読みました。どちらも思わず声が出るほど、私の常識をひっくり返してくれる内容でした。
今回は、その驚きをきっかけに気づいた「思い込みの正体」についてお伝えしたいと思います。
私たちは長い間、学校でこのように教えられてきました。
「幕末の日本は列強による植民地化の危機にあった」
「明治維新によって、日本は突然近代化した」
ところが、最新の研究を紐解いてみると、これらはどうやら「誤解」であったことが分かってきているようです。

※1 Japaaan「幕末の日本が植民地化されなかった本当の理由」(2025年11月)
※2 Japaaan「『明治維新=近代の始まり』は古い常識」(2026年1月)
幕末の誤解——列強は本当に「植民地化」を狙っていたのか?

「植民地にされる」という恐怖の正体
幕末のドラマや教科書には、志士たちが「このままでは日本が列強の植民地になる!」と危機感を燃やす場面が繰り返し描かれます。私もそのイメージをずっと信じてきました。
ところが、Japaaanの記事「幕末の日本が植民地化されなかった本当の理由」(浮世博史氏の著書『くつがえされた幕末維新史』を参考資料とした記事)によれば、当時のイギリスやフランスといった列強に、日本を直接支配しようという具体的な意図は乏しかったというのです。
列強の目的は「市場」だった
記事の論旨をかいつまむと、19世紀の列強、とりわけイギリスの目的は「植民地としての土地支配」ではなく「市場の開放」にありました。産業革命で生産力を高めたイギリスにとって必要だったのは、製品を販売する市場です。
江戸時代の日本は、鎖国によって国内産業が発達し、人々の購買力も一定水準を保っていました。そのような相手を軍事力で支配しては、むしろ商売の邪魔になります。不平等条約によって関税を自在に操れれば、直接支配しなくても十分な利益が得られたのです。
実際、イギリスとの貿易記録を見ると、日本から生糸・茶・海産物などが大量に輸出され、イギリスから繊維製品や軍需品が輸入されていました。日本は大幅な輸出超過で、イギリスにとって「良い商売相手」だったのです。
「危機感は正しかったが、前提は間違っていた」という面白さ
ここが私が最も面白いと感じた点です。当時の志士たちの危機感そのものは、真剣で誠実なものでした。しかし「このままでは植民地にされる」という判断の前提——列強が日本の領土を欲しがっているという認識——は、情報不足による誤解だったのです。
熱意と行動力は本物だったが、前提が間違っていた。これは歴史のロマンでもあり、恐ろしさでもあります。そして「前提を疑わずに突き進む」という構造は、私たちの日常にも当てはまるのではないかと感じました。
なぜ彼らは前提を疑えなかったのか。それは情報の制約もありますが、何より『この危機は明白だ』という確信が、検証の余地を奪ったからでしょう。この『確信の罠』は、現代の私たちにも潜んでいます。
明治維新の誤解——「断絶」ではなく「連続」だった

「江戸=古い、明治=新しい」という単純な図式
もう一つの記事「『明治維新=近代の始まり』は古い常識」も、私の歴史認識を根底から塗り替えてくれるものでした。
私はずっと、江戸時代は封建的な旧体制で、明治維新によってそれが一夜にして近代国家へと生まれ変わった、というイメージを持っていました。明治=文明開化=近代の幕開け、という図式です。
ペリー来航時にはすでに「近代」が始まっていた
ところが記事によれば、今の研究では「近代日本の始まりはペリー来航から」とする歴史観が主流になりつつあるといいます。
江戸幕府は19世紀前半から、国内の矛盾と外圧という危機に直面し、すでに近代化に向けた準備を着々と進めていました。明治政府は幕府が積み上げてきた制度や政策の多くを引き継ぎ、その上に新しい改革を加えていったのです。
つまり江戸から明治への流れは「断絶」ではなく「連続」であり、明治維新は完全な革命ではなく、すでに動き始めていた変化の延長線上にあった、というわけです。
もちろん、明治維新が重要でなかったわけではありません。むしろ『すでにあった芽を、どう開花させたか』という視点で見ると、明治政府の手腕がより鮮明に浮かび上がります。
「断絶」という見方が生まれた理由
では、なぜ「明治維新=突然の近代化」というイメージが定着したのでしょうか。一つには、明治政府自身が「江戸の旧体制を否定して新時代を開いた」という物語を意図的に広めた面があります。また、変化を劇的に見せたほうが、歴史として語りやすい、というメディアや教科書の論理もあります。
ここにも「情報を受け取る側が、単純化された物語に飛びつきやすい」という構造が見えます。
なぜ誤解したまま覚えているのか

教科書の「単純化」という特性
ここでふと、自分自身の「学び方」を振り返りました。学校に通っていた頃の私は、「先生がこう言ったから」「教科書に書いてあるから」と、内容を疑うことなく受け入れていました。
しかし教科書は、限られた紙面で複雑な歴史をわかりやすくまとめる必要があります。その結果、本来は入り組んだ流れが単純化され、私たちはその「単純化された正解」を何十年もアップデートせずに持ち続けてしまいます。
「受け身の学び」が生む思い込み
もう一つの問題は、私たちが「覚える学び」に慣れすぎていることです。テストで点を取るための学習では、答えを覚えることが目標になります。すると「なぜそうなのか」「別の見方はないか」という問いを立てる習慣が育ちません。
定年後の今、私はようやく「正解を覚える学び」から「前提を疑う学び」へ転換できた気がしています。この転換は遅すぎることはないし、むしろ人生経験があるからこそ深く刺さるのかもしれません。
「知っているつもり」の危うさ
今回の歴史の発見で最も印象的だったのは、「知っているつもり」の知識ほど疑いにくい、という点です。まったく知らないことなら「調べよう」と思います。しかし「知っている」と思っている情報は、そもそも疑問を持つ機会がない。
これは歴史だけでなく、日常の思い込みとも同じ構造です。
前編のまとめ
今回の歴史に関する発見は、「教科書の常識を疑う」という体験を通して、自分自身の「思い込みの正体」に気づく大切さを教えてくれました。
- 列強の目的は植民地化ではなく市場開放だった(幕末の前提の誤解)
- 明治維新は断絶ではなく江戸時代からの連続だった(歴史区分の誤解)
- どちらも「単純化された物語」を疑わずに受け入れてきた結果だった
歴史の誤解と、私たちの日常の思い込みは、実は同じ根っこから生まれています。
続く後編では、エスカレーターのマナーから夫婦の会話まで、私が日常の中で実際に体験してきた7つのエピソードを通して、「思い込みの外し方」を具体的に探っていきます。
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