皆さん、こんにちは!てつやです。
定年を迎えてから、電車に乗る際も現役時代ほど時計を気にすることがなくなりました。
そんな私が最近、エスカレーターに乗るたびに「うーん」と考え込んでしまうことがあります。
それは、「なぜ私たちは、いまだに片側を空けて立つのだろうか」ということです。
鉄道会社が「歩かずに2列で立ちましょう」と呼びかけるようになって久しいですが、現実はなかなか変わりません。皆さんも、右側(あるいは左側)にずらりと並び、片側を猛然と歩いていく光景を毎日目にしているはずです。
実は先日、あるネット記事を読んで衝撃を受けました。そこには、この問題は単なる「守る・守らない」というルールの話ではなく、私たち日本人の根深い「行動のクセ」が関係していると書かれていたのです。
今回は、元「歩いて登る派」だった私の反省も踏まえ、この問題を深掘りしてみたいと思います。
片側を空ける習慣は、もう合理的ではない

正直に告白します。現役時代の私は、完全に「歩く派」でした。
商談に遅れそうな時、エスカレーターを階段のように駆け上がり、途中で立ち止まっている人がいると「あぁ、邪魔だな……」と内心イライラしてしまったこともあります。
歩かない時も、「急いでいる人のために道を空けるのがマナーだ」と、疑いもせず片側に寄っていました。
しかし、冷静に調べてみると、この習慣には大きなリスクと非効率が隠れています。
- 危険性:
高齢の方や体に不自由がある方が、利き手の関係でどうしても「歩く側」に立ちたい場合があります。そこで無理に歩く人が接触すれば、大事故につながりかねません。 - 非効率:
全員が2列で止まって乗ったほうが、実は一度に運べる人数(輸送量)が多く、全体の混雑緩和につながるというデータもあります。 - 世界の潮流:
海外の主要都市でも「両側立ち」が推奨されるようになりつつあります。
それなのに、なぜ日本ではこれほどまでに「片側あけ」が根強く残っているのでしょうか。
なぜ日本では習慣が変わらないのか:3つの心理的背景

記事を読んで私が最も納得したのは、私たちの行動を縛っている「3つの心理」です。これ、私たち世代には特に思い当たる節があるのではないでしょうか。
1. 「急ぐ人に道を譲る=親切」という道徳的誤解
私たちは若い頃から「人に迷惑をかけるな」「譲り合いが大切だ」と教わってきました。
エスカレーターでも「急いでいる人がいるなら、空けてあげるのが優しさだ」という道徳観が働いています。
しかし、これが「道徳的誤解」だというのです。
良かれと思って空けたスペースが、実は転倒事故のリスクを高め、全体の効率を下げている。つまり、「親切のつもりが、実はリスクを増やしている」という皮肉な逆説が起きているのです。
2. みんながやっているから従う「同調圧力」
これこそ日本社会の縮図かもしれません。もし今日、私が勇気を出してエスカレーターの真ん中に立ち止まったらどうなるか。
後ろから「チッ」という舌打ちが聞こえてきたり、痛いような視線を感じたりするはずです。
「ルール」よりも「空気のルール」の方が強い。
誰もが「自分だけ違う行動をとって目立ちたくない」「気まずい思いをしたくない」と感じ、合理的ではないと分かっていても、周囲に合わせて動いてしまうのです。
3. 「自分は正しい行動をしている」という自己効力感
これが一番厄介かもしれません。
片側にピシッと寄って立っている時、私たちは「自分はちゃんとマナーを守っている、配慮ができる人間だ」という小さな満足感(自己効力感)を得ています。
現役時代、バリバリ働いていた時ほど、この『正しいことをしている感』を優先して、周りのゆっくりした動きにイライラしてしまっていたのかもしれません。今思えば、心に余裕がなかったのだなと反省しています。
この「気持ちよさ」が習慣を強化してしまいます。自分が良いことをしていると思っている以上、それを変えるのは非常に難しいのです。
個人の努力だけでは変えられない理由

記事を読み進めるうちに、私は「これは一筋縄ではいかないな」と溜息が出ました。この習慣が変わらない理由は、もっと深いところに根ざしているからです。
まず、この『正しさ』の根拠は、論理ではなく感情なのです。いくら「2列で止まる方が効率的です」と数字で説明されても、長年「譲ることが美徳」と信じてきた心はすぐには動きません。
そして、「みんなが変わるまで変われない」という構造があります。誰か一人が変えても、その人が「マナー違反」として浮いてしまう。社会全体が一斉に「せーの」で変わる瞬間が来ない限り、個人の努力だけでは限界があるのです。
私の直感ですが、この変化には、世代交代ほどの時間が必要かもしれません。
それでも、少しずつ変わる可能性はある

とはいえ、絶望することはありません。
最近では、鉄道会社のキャンペーンも以前より具体的になり、床面に「ここに立ちましょう」という足跡マークをつけるなどの工夫も見られるようになりました。
(これはナッジといいます。PCのソフトでも、間違えて消さないように『本当に削除しますか?』と出るような、自然な誘導のことですね)
また、私たちの下の世代、若い人たちの価値観も少しずつ変わっています。
効率や合理性を重視し、古い「空気のルール」に疑問を持つ層が増えれば、いつか2列で並ぶのが当たり前の光景になる日が来るかもしれません。
まとめ:日本人の“親切の形”が変わる日は来るのか

エスカレーターの片側あけ問題。それは単なる乗り方の問題ではなく、私たち日本人が大切にしてきた「親切」や「和」のあり方を問い直す鏡のようなものでした。
合理性よりも文化や感情が勝ってしまう。それは日本人の弱点でもありますが、それだけ「誰かを思いやる気持ち」が強いということの裏返しでもあるのでしょう。
ただ、その思いやりの方向を、これからは「急いでいる一人」ではなく「そこにいる全員の安全」に向けていけたらいいな、と定年後の私は思うのです。
皆さんは、次にエスカレーターに乗る時、どんなことを感じますか?
「当たり前」を疑ってみる。これも、ブログを始めたからこそ得られた新しい視点かもしれません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回の記事でお会いしましょう!てつやでした。

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