皆さん、こんにちは!てつやです。
「気がつけばいつも自分がやっている」「最初はありがとうと言われたのに、今は当たり前になっている」——現役時代、こんな経験をしたことはありませんか?
その善意が、あなたを削っていないだろうか。
第1回では思い込みを外す話を、第2回では言語化の力をお伝えしました。今回はその続きとして「善意」というテーマに踏み込みます。

定年後の距離を置いた目線で現役時代を振り返ると、私が長年抱えてきたモヤモヤの正体が見えてきました。それは「善意が搾取される構造」と、そこから自分を守る境界線の話です。
定年後の今だからこそ、現役時代には見えなかった“善意の扱い方”が鮮明に見えてきました。
「気づく人」が損をする構造——OCBとは何か

善意の行動には名前があった
組織心理学に「組織市民行動(OCB:Organizational Citizenship Behavior)」という概念があります。
これは、職務記述書に書かれた正式な業務ではないのに、自発的に組織のためにやっている行動のことです。誰かが困っていたら手を貸す、資料の誤りに気づいたら黙って直す、新人に自分の経験を伝える——そういった日々の「善意の積み重ね」がOCBです。
この概念を知ったとき、私は「あれに名前があったのか」とはっとしました。会社員時代に抱えていたモヤモヤの正体は、このOCBが引き起こす不公平感だったのです。
これは会社だけの話ではありません。地域活動、PTA、家族の中でも同じ構造が起きます。
気づいた人に仕事が集まる構造
現役時代、特に中堅以降になると「自分の部署の仕事だけでは回らない」という状況が増えました。デジタル化の波に乗れていない他部署を手伝い、誰も気づいていないことに気づいては対処し、部の垣根を超えて動き続けた。
「気づいた人がやる」が常態化する恐怖——これがOCBの最大の罠です。最初は自発的だった行動が、周囲からは「その人の仕事」として認識され始める。断ると「なぜやってくれないのか」という空気になる。そして気づけば、業務外の仕事が正規の仕事になっている。
若い頃は「自分が気づいたんだからやるしかない」とがむしゃらに走っていましたが、ふと周りを見渡したとき「自分だけが空回りしているのでは」という不安に何度も襲われました。
▶詳細:「気づく人」が損する職場の罠|善意が義務に変わる前にすべき5つの対処法(雑記帳-12)
「市民疲労」——善意が枯れていくメカニズム
心理学が証明していた「燃え尽き」の構造
OCBが長期化すると「市民疲労(Citizenship Fatigue)」と呼ばれる状態に陥ることが、心理学の研究で示されています。
特徴は3段階で進むことです。まず「やりがい」を感じている初期段階、次に「評価されない」という不満が蓄積する中期、そして「なぜ自分だけ」という怒りと無力感が重なる末期。
怖いのは、この疲労が本人にとって「弱音を吐いてはいけない」という形で隠蔽されやすい点です。「自分で始めたことだから」「気づいた自分の責任だから」——そう自分に言い聞かせながら、じわじわと善意が枯れていく。
この3段階を読んだとき、私は「あの頃の自分はまさに中期から末期にいた」と気づきました。
善意が「義務」に変わる瞬間
OCBが義務化するプロセスには、ある転換点があります。それは「感謝の言葉が消えた瞬間」です。
最初の頃、「ありがとう、助かった」という言葉があった。それが原動力になっていた。しかしある日から、その言葉がなくなる。やって当然の空気だけが残る。この瞬間に、善意は「義務」に変わっているのです。
定年後に距離を置いてこの構造を言語化できたとき、「あの頃のモヤモヤはここから来ていたのか」と長年の謎がようやく解けた気がしました。同時に、あれは自分一人の問題ではなく、組織の構造的な問題だったのだとも。
思い返せば、あなたにも「ありがとう」が消えた瞬間があったのではないでしょうか。
「飲み込まれない」ための境界線——ワークインライフの教訓

ワークインライフという考え方との出会い
定年後、「ワークインライフ(Work in Life)」という言葉を目にしたとき、最初は「仕事に飲み込まれる働き方では?」と身構えました。
しかし調べてみると、本来の意味はその逆でした。仕事を人生の「一部」として豊かに位置づけるという考え方です。
「仕事と生活のバランスを保つ(ワークライフバランス)」が「対立」の発想なのに対して、
「人生の中に仕事を置く」のは「包含」の発想。自分の人生という大きな文脈の中に、
仕事も趣味も家族もある、という捉え方です。

現役時代の私に、この発想があっただろうか。正直、なかったと思います。
仕事が人生の中心にあり、それ以外が周辺にあった。だからこそ、OCBで消耗しても「仕事のためだから」と許容し続けてしまったのです。
▶詳細:ワークインライフとは?ワークライフバランスとの違い、定年世代が伝える実践法(雑記帳-15)
自分だけの「物差し」を持つことが境界線になる
ワークインライフを実践するための核心は、「自分だけの物差しを持つこと」だと気づきました。
他者の期待や組織の圧力に押し流されないためには、「自分はどこまでやるか」「何を大切にするか」という自分なりの基準が必要です。これが物差し、つまり境界線です。
雑記帳-12で整理した「潰れないための5つの対処法」の中でも、最も根本的なのはこの点でした。善意を「見える化」する、断る勇気を持つ、仕組み化を提案する——これらはすべて、「自分の善意をどこまで差し出すか」を自分で決めるための技術です。
まずは「自分はどこまでなら喜んでできるか」を紙に書き出すだけでも、境界線は見えてきます。
定年後の善意の守り方
定年後の今、私はこの「境界線」の問題を別の形で経験しています。ブログを通じて人との繋がりが増えると、「もっと発信してほしい」「もっと詳しく教えてほしい」という期待を受けることがあります。
以前の私なら、すべてに応えようとしたでしょう。しかし今の私には「自分の軸で善意を使う」という物差しがあります。喜んでやれる範囲の善意は惜しまない。しかし消耗するまで差し出すことはしない。
「効率より納得」「無理な善意より持続できる誠実さ」——第4回で詳しく触れるAIリレー方式の振り返りの中でも、私はこの境界線の問題に向き合うことになります。
まとめ ― 善意は守られてこそ、長く輝く

OCBと市民疲労の話は、現役時代の「昔話」ではありません。定年後の人間関係、地域活動、家族との関わり、ブログでの発信——あらゆる場面で、同じ構造が繰り返されます。
大切なのは「善意を持たないこと」ではありません。善意は持ち続けてほしい。ただ、その善意が消耗して枯れてしまわないよう、自分なりの境界線を持つことが必要なのです。
| 善意は守られてこそ、長く輝く。自分の物差しで線を引くことは、自分本位ではなく、長く誠実であり続けるための知恵だ。 |
定年後の「自分の善意を守る生き方」。それは思い込みを外し、言語化を磨いた先に、ようやく見えてくるものかもしれません。
今日から一つだけ、“自分の善意を守るための線”を引いてみてください。それだけで心の軽さが変わります。
次回(第4回)は「挑戦の構造化」というテーマで、AIリレー方式というプロジェクトを通じて、思想を構造に落とすプロセスをお伝えします。
▼ シリーズ一覧「60代からの再構築:思い込みを外し、自分の軸で生きるための7つの旅」
第1回:定年後のモヤモヤの正体 ― 思い込みが人生を縛っていた
第2回:言語化が人生を変える ― モヤモヤが消える「解像度」の話
第3回(本記事):善意が疲弊しないために ― OCBと境界線の話
第4回:挑戦の構造化 ― AIリレー方式が教えてくれたこと
第5回:遠回りの価値 ― 車中泊が教えてくれた余白の力
第6回:ブログという第二の人生 ― 立ち上げから見えたもの
第7回:総集編 ― 自分の軸で生きるためのてつや式・再構築術
【参考・関連記事】
▶ 「気づく人」が損する職場の罠|善意が義務に変わる前にすべき5つの対処法(雑記帳-12)
▶ ワークインライフとは?ワークライフバランスとの違い・定年世代が伝える実践法(雑記帳-15)

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