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「満天の星空」を言葉にできない…60代ブロガーが気づいた言語化の限界【第2回】

【第2回】「言葉にすると違和感?」初心者ブロガーが考える「言語化の限界」と大切な余白 ブログ
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皆さん、こんにちは!てつやです。

【前回のおさらい】
第1回では、ブログを書くことで「言語化」が、私の挑戦を整理し、形にする上でいかに価値があるかをお伝えしました。考えを整理できる、他者に伝えられる、記録として残せる——この3つの価値は、定年後のモヤモヤを言葉にできたことで得られた大きな財産です。

しかし、ブログを続ける中で、私はすぐに「言語化の限界」にも直面することになりました。

例えば、趣味の車中泊で、夜中にたまたま素晴らしい満天の星空に出会った時のことです。その感動を翌日記事にしようとパソコンに向かいました。

「静寂の中、降り注ぐような星の光が、まるで宝石をちりばめたように輝いていた」

何度文章を推敲しても、頭の中で体験した肌で感じる空気の冷たさや、星が瞬く音のない迫力が、どうにも言葉に乗らないのです。言葉にした途端、その感動はどこか「説明」に変わってしまい、生々しい「体験」としてのニュアンスが薄れてしまう。

「あれ?私が伝えたいのは、こんな表現で合っているのだろうか?」と違和感を覚えました。

これは、ブログを書く人なら一度は経験する、言葉の壁ではないでしょうか。

満天の星空を前に、言語化の限界を知った瞬間
満天の星空を前に、言語化の限界を知った瞬間

【関連記事:体感する言語化の限界】
ちなみに、夜は感動だけでなく、「夜の闇の中で車を見失う」という恐怖も体験しました。言葉にならない感覚は、美しさだけでなく、危機的な状況も同じです。その夜の生々しい体験記はこちらです。
60代ソロ車中泊|聖地ふもとっぱらで見た天国と地獄!定年記念のはずが夜の闇で迷子に…

言語化はなぜ万能ではないのか?

私たちは日常生活で、「しっかり言語化しなさい」「論理的に説明しなさい」と教わります。もちろん、ビジネスやコミュニケーションにおいて言語化能力は極めて重要です。私も現役時代はそう信じて働いてきました。

しかし、人生の後半戦で、自分自身の内面や純粋な感動に向き合う機会が増えた今、言語化がすべてを解決する万能な道具ではない、と感じるようになりました。

特に、新しい挑戦や趣味、感情といった「生きている証」を記録しようとするとき、言葉は私たちを縛りつけてしまう側面があるのです。

前回、言語化の価値として「考えを整理できる」とお伝えしましたが、実はこれには裏側があります。整理しすぎることで、本来の豊かさや、物事が持つ曖昧な魅力が失われることもあるのです。

てつやが実感した言語化の3つの弱点

私が定年後のブログ執筆を通じて、特に強く感じた「言語化の弱点」は次の3点です。

1. 🌊 鮮度を失う:五感で捉えた「感動」は言葉で薄れる

前述の星空の例のように、五感で捉えた「感覚」や「感情」は、言葉というフィルターを通すと、その本来の瑞々しさを失いがちです。

例えば、「美味しい」という言葉一つとっても、それが何を意味するのかは人それぞれです。

  • 素材の新鮮さからくる美味しさ
  • 仲間と食べた時の雰囲気による美味しさ
  • 懐かしい母の味を思い出させる美味しさ

読み手がそれぞれ勝手に定義した「美味しい」で上書きされてしまい、書き手が伝えたい繊細なニュアンスは、水がこぼれるように失われてしまうのです。

「違う、伝えたいのはこんな表現じゃないんだけど…」というもどかしさこそ、言語化の限界です。

「違う、伝えたいのはこんな表現じゃないんだけど...」
「違う、伝えたいのはこんな表現じゃないんだけど…」

2. ⛰️ 豊かさを失う:言葉で定義できない「余白」が失われる

言語化を突き詰めようとすると、「それはどういうことですか?」「定義してください」と、すべてを明確にしようとする傾向があります。

しかし、人生には、そして物事には、「今はまだ言葉にできない、漠然とした大切なもの」が必ず存在します。

  • 長年連れ添った夫婦の間の「あうんの呼吸」
  • 誰にも言えない「秘めたる情熱」
  • 新しい趣味を始めた時の「これだ!という直感」

長年連れ添った夫婦の間の「あうんの呼吸」は、ブログに書くのが最も難しいテーマかもしれません。無理に説明すると、その間の大切な温かさが逃げていってしまう気がするからです。

【関連記事:価値観の違いを言葉にする難しさ】
私は「攻めの挑戦」、妻は「守りの安心」を求める。この根本的な価値観の違いこそ、最も身近な「言葉にできない余白」です。夫婦の価値観のズレについて考えた記事はこちらです。
定年後の夫婦|「攻める夫」と「守る妻」の価値観、『やりたいこと探し』の本が教えてくれた新しい対話のヒント

これらは、無理に言葉にしようとすると、かえって陳腐になってしまいます。

すべてを言葉で埋め尽くそうとすると、この「言葉にできない余白」がなくなってしまいます。この余白こそが、個人の持つ深い感情や、未完成の可能性を育む大切なスペースではないでしょうか。

すべてを言葉で埋め尽くさない。空白にも意味がある
すべてを言葉で埋め尽くさない。空白にも意味がある

3. ⚠️ 焦りを生む:すぐに言葉にできない人を排除する危うさ

現代社会は、SNSやビジネスにおいて、「いかに早く、的確に、論理的に言語化するか」が評価されがちです。

確かに、情報を素早く共有する上で、言語化能力は重要です。しかし、この風潮が強くなりすぎると、「うまく言葉にできない自分はダメだ」と焦りを感じてしまう危うさが生まれます。

定年を迎えて一歩引いてみると、世の中にはすぐに言葉にならなくても、価値があることがたくさんあると気づかされます。拙い言葉でも、時間がかかっても、ゆっくりと表現する権利は誰にでもあるはずです。

ブログを書く上でも、「完璧な文章でなくてもいい」「まだ考え中でもいい」と思えるようになったことで、かえって記事を書くのが楽になりました。

「言葉にできない」ことを大切にする姿勢

私たちはついつい、言葉にすることを「ゴール」だと思いがちです。しかし、言葉にすることの真価は、言葉にできずにもがくプロセスにあるのかもしれません。

言葉は道具であり、すべての真実や感情を包括できるものではありません。だからこそ、あの満天の星空のように、「言葉では伝えきれない、ただただ感動的な何か」を、そのままに大切にする姿勢が必要だと感じています。

ブログで記事を書く際も、「ここは無理に説明しようとせず、写真や読者の想像力に任せよう」と、意識的に「言葉の余白」を残すことを心がけるようになりました。

実際、あえて詳しく説明しなかった記事に、「自分も同じような経験をしました」というコメントが多く集まったことがあります。言葉で全部を埋めないことで、読者が自分の体験を重ねるスペースが生まれたんですね。

皆さんは、「言葉にできない感動」をどう扱っていますか?
無理に言葉にしようとしますか?それとも、そのまま心の中に大切にしまっておきますか?

まとめ:言葉の力も、言葉の限界も知る

今回は、私がブログ執筆を通して気づいた「言語化の限界」について、率直にお話ししました。

  • 言語化は、感覚やニュアンスの「ズレ」を生むことがある
  • すべてを言葉にしようとすると、大切な「余白」が失われる
  • 言葉は素晴らしい道具だが、万能ではない

言葉の力を知ることと同じくらい、言葉の限界を知ることは、私たちの表現をより豊かにする上で不可欠です。

では、言葉にできない部分はどうしたらいいのでしょうか?

次回・第3回では、「写真や図解などの非言語表現」をどのように組み合わせ、言葉が苦手な部分を視覚が補ってくれる瞬間について、私の実例を交えて解説していきます。

【次回予告】
第3回:写真が語る力!非言語表現でブログを豊かにする方法

最後までお読みいただき、ありがとうございます。次回もどうぞお楽しみに!

【補足:言葉にできない部分を視覚化する方法】

この記事では「言葉にできない余白」の大切さをお話ししましたが、次回では写真や図解といった非言語表現について解説します。

実は、その非言語表現(特に図解や差し込み画像)の作成に、私は当初かなり苦労していました。しかし、AIツールを組み合わせる「リレー方式」で、作業時間を大幅に短縮できました。

画像作成でお悩みの方は、こちらの記事も参考にしてください。
AIリレー方式で画像作成時間を3時間→30分に短縮した方法


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プロフィール
この記事を書いた人
てつや

昨年3月に定年を迎えました60代です。これからの人生を「やってみた!」の一言で埋め尽くしていこうと、小さな一歩を踏み出したところです。長年仕事に追われて先送りしていた興味や関心ごとを、少しずつ形にしていけたらと思っています。

SNSもブログも初挑戦。見よう見まねではありますが、日々の気づきや試みを綴っています。よろしければ、のぞいてみてください。【Update:2026/1】

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