皆さん、こんにちは!てつやです。
【前回のおさらい】
第1回では、ブログを書くことで「言語化」が、私の挑戦を整理し、形にする上でいかに価値があるかをお伝えしました。考えを整理できる、他者に伝えられる、記録として残せる——この3つの価値は、定年後のモヤモヤを言葉にできたことで得られた大きな財産です。
しかし、ブログを続ける中で、私はすぐに「言語化の限界」にも直面することになりました。
例えば、趣味の車中泊で、夜中にたまたま素晴らしい満天の星空に出会った時のことです。その感動を翌日記事にしようとパソコンに向かいました。
「静寂の中、降り注ぐような星の光が、まるで宝石をちりばめたように輝いていた」
何度文章を推敲しても、頭の中で体験した肌で感じる空気の冷たさや、星が瞬く音のない迫力が、どうにも言葉に乗らないのです。言葉にした途端、その感動はどこか「説明」に変わってしまい、生々しい「体験」としてのニュアンスが薄れてしまう。
「あれ?私が伝えたいのは、こんな表現で合っているのだろうか?」と違和感を覚えました。
これは、ブログを書く人なら一度は経験する、言葉の壁ではないでしょうか。

【関連記事:体感する言語化の限界】
ちなみに、夜は感動だけでなく、「夜の闇の中で車を見失う」という恐怖も体験しました。言葉にならない感覚は、美しさだけでなく、危機的な状況も同じです。その夜の生々しい体験記はこちらです。
60代ソロ車中泊|聖地ふもとっぱらで見た天国と地獄!定年記念のはずが夜の闇で迷子に…
言語化はなぜ万能ではないのか?
私たちは日常生活で、「しっかり言語化しなさい」「論理的に説明しなさい」と教わります。もちろん、ビジネスやコミュニケーションにおいて言語化能力は極めて重要です。私も現役時代はそう信じて働いてきました。
しかし、人生の後半戦で、自分自身の内面や純粋な感動に向き合う機会が増えた今、言語化がすべてを解決する万能な道具ではない、と感じるようになりました。
特に、新しい挑戦や趣味、感情といった「生きている証」を記録しようとするとき、言葉は私たちを縛りつけてしまう側面があるのです。
前回、言語化の価値として「考えを整理できる」とお伝えしましたが、実はこれには裏側があります。整理しすぎることで、本来の豊かさや、物事が持つ曖昧な魅力が失われることもあるのです。
てつやが実感した言語化の3つの弱点
私が定年後のブログ執筆を通じて、特に強く感じた「言語化の弱点」は次の3点です。
1. 🌊 鮮度を失う:五感で捉えた「感動」は言葉で薄れる
前述の星空の例のように、五感で捉えた「感覚」や「感情」は、言葉というフィルターを通すと、その本来の瑞々しさを失いがちです。
例えば、「美味しい」という言葉一つとっても、それが何を意味するのかは人それぞれです。
- 素材の新鮮さからくる美味しさ
- 仲間と食べた時の雰囲気による美味しさ
- 懐かしい母の味を思い出させる美味しさ
読み手がそれぞれ勝手に定義した「美味しい」で上書きされてしまい、書き手が伝えたい繊細なニュアンスは、水がこぼれるように失われてしまうのです。
「違う、伝えたいのはこんな表現じゃないんだけど…」というもどかしさこそ、言語化の限界です。

2. ⛰️ 豊かさを失う:言葉で定義できない「余白」が失われる
言語化を突き詰めようとすると、「それはどういうことですか?」「定義してください」と、すべてを明確にしようとする傾向があります。
しかし、人生には、そして物事には、「今はまだ言葉にできない、漠然とした大切なもの」が必ず存在します。
- 長年連れ添った夫婦の間の「あうんの呼吸」
- 誰にも言えない「秘めたる情熱」
- 新しい趣味を始めた時の「これだ!という直感」
長年連れ添った夫婦の間の「あうんの呼吸」は、ブログに書くのが最も難しいテーマかもしれません。無理に説明すると、その間の大切な温かさが逃げていってしまう気がするからです。
【関連記事:価値観の違いを言葉にする難しさ】
私は「攻めの挑戦」、妻は「守りの安心」を求める。この根本的な価値観の違いこそ、最も身近な「言葉にできない余白」です。夫婦の価値観のズレについて考えた記事はこちらです。
定年後の夫婦|「攻める夫」と「守る妻」の価値観、『やりたいこと探し』の本が教えてくれた新しい対話のヒント
これらは、無理に言葉にしようとすると、かえって陳腐になってしまいます。
すべてを言葉で埋め尽くそうとすると、この「言葉にできない余白」がなくなってしまいます。この余白こそが、個人の持つ深い感情や、未完成の可能性を育む大切なスペースではないでしょうか。

3. ⚠️ 焦りを生む:すぐに言葉にできない人を排除する危うさ
現代社会は、SNSやビジネスにおいて、「いかに早く、的確に、論理的に言語化するか」が評価されがちです。
確かに、情報を素早く共有する上で、言語化能力は重要です。しかし、この風潮が強くなりすぎると、「うまく言葉にできない自分はダメだ」と焦りを感じてしまう危うさが生まれます。
定年を迎えて一歩引いてみると、世の中にはすぐに言葉にならなくても、価値があることがたくさんあると気づかされます。拙い言葉でも、時間がかかっても、ゆっくりと表現する権利は誰にでもあるはずです。
ブログを書く上でも、「完璧な文章でなくてもいい」「まだ考え中でもいい」と思えるようになったことで、かえって記事を書くのが楽になりました。
「言葉にできない」ことを大切にする姿勢
私たちはついつい、言葉にすることを「ゴール」だと思いがちです。しかし、言葉にすることの真価は、言葉にできずにもがくプロセスにあるのかもしれません。
言葉は道具であり、すべての真実や感情を包括できるものではありません。だからこそ、あの満天の星空のように、「言葉では伝えきれない、ただただ感動的な何か」を、そのままに大切にする姿勢が必要だと感じています。
ブログで記事を書く際も、「ここは無理に説明しようとせず、写真や読者の想像力に任せよう」と、意識的に「言葉の余白」を残すことを心がけるようになりました。
実際、あえて詳しく説明しなかった記事に、「自分も同じような経験をしました」というコメントが多く集まったことがあります。言葉で全部を埋めないことで、読者が自分の体験を重ねるスペースが生まれたんですね。
皆さんは、「言葉にできない感動」をどう扱っていますか?
無理に言葉にしようとしますか?それとも、そのまま心の中に大切にしまっておきますか?
まとめ:言葉の力も、言葉の限界も知る
今回は、私がブログ執筆を通して気づいた「言語化の限界」について、率直にお話ししました。
- 言語化は、感覚やニュアンスの「ズレ」を生むことがある
- すべてを言葉にしようとすると、大切な「余白」が失われる
- 言葉は素晴らしい道具だが、万能ではない
言葉の力を知ることと同じくらい、言葉の限界を知ることは、私たちの表現をより豊かにする上で不可欠です。
では、言葉にできない部分はどうしたらいいのでしょうか?
次回・第3回では、「写真や図解などの非言語表現」をどのように組み合わせ、言葉が苦手な部分を視覚が補ってくれる瞬間について、私の実例を交えて解説していきます。
【次回予告】
第3回:写真が語る力!非言語表現でブログを豊かにする方法
最後までお読みいただき、ありがとうございます。次回もどうぞお楽しみに!
【補足:言葉にできない部分を視覚化する方法】
この記事では「言葉にできない余白」の大切さをお話ししましたが、次回では写真や図解といった非言語表現について解説します。
実は、その非言語表現(特に図解や差し込み画像)の作成に、私は当初かなり苦労していました。しかし、AIツールを組み合わせる「リレー方式」で、作業時間を大幅に短縮できました。
画像作成でお悩みの方は、こちらの記事も参考にしてください。
▶ AIリレー方式で画像作成時間を3時間→30分に短縮した方法
▼このシリーズの他の記事
- 【第1回】言語化の価値と人生の整理
- 【第2回】言語化の限界と大切な余白(本記事)
- 【第3回】写真と図解で伝える非言語表現の力
- 【第4回】実践編!言葉と写真をバランスよく使うコツ


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