「無言の帰宅」——この言葉を聞いて、あなたはどんな情景を思い浮かべますか?
皆さん、こんにちは!てつやです。
今年3月に定年を迎え、第二の人生をブログと車中泊で楽しんでいる60代です。
私は長年、当たり前に「ある一つの重い意味」で受け取ってきた言葉なのですが、先日、ネットを眺めていたら、この言葉の解釈をめぐってちょっとした騒動が起きていることを知りました。発端は、比較的新しいSNS「Threads(スレッズ)」でのやり取りだったようです。
どうやら、若い世代の中には、この言葉を文字通り「黙って家に帰ること」と捉えている人が少なくないとか。あるいは、非常に重い文脈で使われたこの言葉に対し、その意味を知らずに戸惑ったり、見当違いな反応をしてしまったりするケースもあったようです。
私のような定年世代からすると「えっ?」と驚いてしまいます。でも、よくよく考えてみると、これは単なる「若者の言葉の誤用」という問題ではないのかもしれません。そこには、メディア環境の変化、情報の受け取り方の違い、そしてSNSの特性が絡み合った、現代ならではの「言葉のギャップ」が隠れているように思えたのです。
今回は、この「無言の帰宅」騒動をきっかけに、言葉の変化や世代間のコミュニケーションについて、私なりに考察してみたいと思います。長年社会人として生きてきた私ですが、定年を機にこうして新しい世界(ブログやSNS)に触れ、日々学ぶことばかりです。

発端はThreads(スレッズ)でのやり取り:「無言の帰宅」の“重み”
さて、冒頭でも問いかけましたが、「無言の帰宅」という言葉。皆さんはご存知でしたか?
私(昭和生まれ、今年定年)にとっては、非常に重く、悲しい意味を持つ言葉として認識しています。事件や事故、あるいは戦争などで、亡くなった方が遺体となって家族のもとへ帰ってくる…。そんな、言葉を発することのない、静かで悲痛な帰宅を指す言葉だと理解していました。
私が若い頃は、テレビのニュースやドキュメンタリー、あるいは戦争を扱ったドラマや映画などで、この表現に触れる機会が少なからずあったように記憶しています。遺族が涙ながらに迎える、白布に覆われた姿…。そんな重苦しい場面とセットで、この言葉は私の頭にインプットされてきました。
ですから、この言葉を「(喧嘩でもして)黙って家に帰ること」という意味で使っている人がいると知った時は、正直、かなりの衝撃を受けました。
【ちょっと豆知識】Threads(スレッズ)とは?
2023年にMeta社(Facebookの会社)がリリースした、短文投稿型のSNSです。Instagramのアカウントと連携でき、X(旧Twitter)に似た使い心地が特徴。比較的新しいサービスのため、私たち定年世代にはまだ馴染みが薄いかもしれませんね。
SNSで起きた「世代間のすれ違い」
ことの経緯を少し調べてみました。 Threadsは、X(旧Twitter)に似た、短い文章を投稿するタイプのSNSですね。私もアカウントだけは作ってみましたが、まだ使いこなせていません(苦笑)。
この騒動、どうやら複数のパターンがあったようです。
一つは、ある若い世代と思われるユーザーが、日常の出来事として「(家族と喧嘩して)無言の帰宅をした」といったニュアンスで投稿したケース。これに対し、私と同じように本来の意味を知る世代の人たちから、「その使い方は間違っている」「縁起でもない」といった指摘が相次いだようです。
そしてもう一つ、より深刻なすれ違いとして報じられていたのが、ご家族を亡くされた方が「無言の帰宅となりました」と、非常に重い文脈で報告されたケースです。
この投稿に対し、言葉の重みを知らない一部のユーザーが、文字通り「(生きて)帰宅した」と誤解し、「(帰ってきて)良かったですね」といった、全く見当違いな反応をしてしまったようなのです。
もちろん、大半の人は状況を察していましたが、この「重い報告」と「的外れな反応」の組み合わせがSNS上で拡散され、本来の意味を知る世代からは「不謹慎だ」「あまりにも言葉を知らなすぎる」と厳しい批判が噴出しました。
一方、言葉の意味を知らなかった若い世代の人たちは、「なぜそんなに怒られるのかわからない」「そんな重い意味があるとは知らなかった」と戸惑いや反発を見せました。
まさに、世代間で「当たり前」が食い違ってしまった瞬間です。 指摘した側は「常識だろう」と思い、指摘された側は「そんなの知らない」と思う。このすれ違いが、SNSという開かれた場所で可視化され、一気に拡散して「騒動」となったわけですね。
「無言の帰宅」が通じない理由|60代が考える3つの考察
この一件、「最近の若い者は言葉を知らない」と嘆いて終わらせるのは簡単です。しかし、長年仕事をしてきて思うのは、問題が起きた時こそ「なぜ?」と考えるのが大切だということ。
なぜ、彼らは「無言の帰宅」の本来の意味を知らなかったのでしょうか。私なりに理由を考察してみました。
考察① メディア接触の変化と言葉の「重み」
まず単純に、この言葉に触れる機会が圧倒的に減ったのではないでしょうか。 幸いなことに、現代の日本では、私たちが若い頃に比べて、戦争の記憶も遠くなり、大きな災害や事件の報道のあり方も変わってきています。
私たち世代が知っているのは、主に新聞やテレビのニュース、ドキュメンタリーといった、かつての「マスメディア」を通じて得た知識です。そこでは、言葉の「重み」や「背景」も一緒に伝えられていました。
しかし、今はどうでしょう。 情報はインターネットが主流。それも、ニュースサイトからSNS、YouTube、TikTokまで、情報源は極度に細分化しています。若い世代が主に触れるエンターテイメント中心のメディアで、「無言の帰宅」のような重い慣用句が使われることは稀でしょう。
結果として、私たち世代が新聞やニュースで培ってきた「共通言語」と、彼らがSNSや動画で培ってきた「共通言語」との間に、大きな隔たりが生まれているのではないかと感じます。知らなくても無理はないのかもしれません。
考察② SNSの特性:文脈が切り取られる世界
今回の舞台がThreadsだった、という点も見逃せません。 X(旧Twitter)もそうですが、これらの短文投稿SNSは、非常に「文脈(コンテクスト)」が伝わりにくいメディアです。
前後のやり取りがなければ、その言葉がどういう意図で、どういう知識背景の人が使ったのかが分かりません。また、アルゴリズムによって、自分のフォロワーとは全く関係のない人の投稿が、いきなり流れてくることもあります。
知識背景も世代も異なる人々が、文脈を欠いた「言葉」だけを介してランダムに出会ってしまう。それが新しいSNSの特性です。 オープンな場で、知識の差が「間違いの指摘」という形で表れ、それが拡散してしまう。SNS時代特有の難しさを感じます。
考察③ 言葉の「体験」と「定義」のズレ
もう一つ気づいたのは、言葉の学び方の違いです。
私たち世代は、「無言の帰宅」という言葉を、実際のニュース映像や、家族の話、あるいは文学作品などを通じて、その「重さ」とともに体験的に学んできました。言葉と感情、文脈がセットになっていたのです。
一方、今の若い世代は、言葉を「検索」して学ぶことが多いでしょう。しかし、検索で出てくるのは「定義」だけ。その言葉が使われる場面の空気感や、込められた感情までは伝わりにくいのです。
「無言の帰宅」を辞書で調べても、「黙って帰ること」という字面通りの意味しか出てこないかもしれません。その奥にある歴史的背景や、遺族の悲しみといった「体験」は、検索では得られない知識なのです。
「無言の帰宅」以外にもある、世代間で誤解されやすい言葉
こういった「言葉の誤解」は、何も「無言の帰宅」に限った話ではありませんよね。 私も長年仕事をしてくる中で、ヒヤッとした経験があります。いくつか、よく話題になる例を挙げてみましょう。
「煮詰まる」は行き詰まること?
本来は「結論が出る直前の良い状態」を指すポジティブな言葉です。しかし「煮える」という言葉から、行き詰まったネガティブな状態を連想してしまう人が多いようです。文化庁の調査でも、誤用の方が多数派になりつつあります。
「役不足」と「力不足」
これはビジネスシーンで間違えると怖い言葉です。 「私には役不足です」と言うと、本来は「私ほどの実力者に対して、その役は軽すぎますよ」という意味になってしまいます。 謙遜のつもりで「私にはその役は重すぎます(=力不足です)」と言いたいところを、間違えると非常に傲慢な人だと思われてしまう。言葉一つで評価が変わるのは恐ろしいですね。
「確信犯」の本当の意味
「あいつは悪いとわかっててやったんだから、確信犯だ」 こんな風に使われることが多い「確信犯」。 しかし、本来の意味は「自らの信念に基づいて、それが法に触れると知りながらも、正しいと信じて行う行為(またはその人)」を指します。単なる「悪いと知っててやる」というのとは、ニュアンスがかなり異なります。
世代間の言葉のギャップを埋める方法|けんすう氏の提言に学ぶ
さて、「無言の帰宅」騒動に話を戻します。 この件について、著名な起業家である「けんすう(古川健介)」氏が、非常に示唆に富む提言をされていました。
古川氏は、noteやアル株式会社の創業者で、若い世代からの支持が厚い方です。
その彼が、こんな趣旨のことを述べていました。
「(自分と異なる世代や背景を持つ人に対しては)相手がその言葉を知らないことを前提に話す方が良い」「知らないことを馬鹿にしたり、常識がないと切り捨てたりするべきではない」
これは、本当にその通りだと私は深く共感しました。
私たち定年世代は、つい自分たちの生きてきた物差しで「これくらい知っていて当然だ」と思ってしまいがちです。しかし、先ほど考察したように、触れてきたメディアも環境も全く違うのですから、「知らなくて当然」という前提に立つべきなのかもしれません。
知らないことを「教養がない」と断じてしまえば、そこでコミュニケーションは断絶してしまいます。 むしろ、なぜその言葉が使われなくなったのか、その背景にはどんな社会の変化があるのかを考える方が、よほど建設的です。
もちろん、言葉の意味を正しく知る努力は大切です。 しかし、それ以上に大切なのは、相手が「知らないかもしれない」と想像すること。そして、もし意味がすれ違った時には、感情的にならずに「この言葉にはね、実はこういう重い意味があるんだよ」と、その背景や文脈を丁寧に伝える姿勢ではないでしょうか。
まとめ:言葉は変わるもの、でも大切にしたいこと
会社員時代は、効率や正確性が何よりも重視されました。言葉の使い方も、ビジネス文書も、ある種の「正しさ」が求められていたように思います。
しかし、定年を迎えて一市民に戻り、こうしてブログという自由な場で文章を書いていると、言葉の「正しさ」だけが全てではないな、と感じます。
「無言の帰宅」のように、歴史的な背景や、多くの人の悲しみが込められた言葉は、その重みも含めて次の世代に伝えていく価値があります。 一方で、「煮詰まる」のように、多くの人が使いやすいように意味が変化していく言葉もあります。
大切なのは、その言葉が持つ「重み」や「ニュアンス」を、どれだけ想像できるかということではないでしょうか。
今回の騒動から私が学んだのは、世代が違えば「常識」も違うということ。そして、その違いを「壁」にするか「橋」にするかは、私たち一人ひとりの姿勢次第だということです。
これは、私たちがこれからブログを書いていく上でも、非常に重要な教訓だと感じています。 私たち定年世代が「常識」だと思って使っている言葉(例えば、かつての仕事の専門用語や、昔の流行語など)は、ブログを読んでくれる若い世代や、全く違う分野の読者には通じないかもしれません。
定年世代の「当たり前」は、若い読者には通じないかもしれない。だからこそ、「この言葉、伝わるかな?」と常に読者の立場で考える習慣が必要なのです。
専門知識やPCスキルも大切ですが、「読者の気持ちを想像する力」こそが、信頼される発信者になるための鍵なのかもしれません。
定年後の第二の人生、SNSやブログという新しい世界で、私自身もその力を日々磨いていきたいと思っています。
【あなたの経験を教えてください】
皆さんが、世代や立場の違う人とコミュニケーションを取る上で、大切にしていることは何ですか?
✅ 「私も言葉の誤解で困った経験がある」
✅ 「若い世代とのコミュニケーションで悩んでいる」
✅ 「こんな言葉の世代間ギャップを知っている」
ぜひ、コメント欄であなたの体験をシェアしてください!
あなたの経験が、他の読者の学びになります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
もっと深く学びたい方へ
今回の記事を書きながら、私自身も言葉の変化について、もっと深く知りたいと思い、いくつか本を読んでみました。同じように興味を持たれた方のために、特に参考になった3冊をご紹介しますね。
📚 『三省堂国語辞典のひみつ』(飯間浩明著)
辞書編纂者である著者が、日常の中で「言葉狩り」をする様子や、新しい言葉をどう辞書に載せるか悩む過程が綴られています。
この本から学べること: 言葉は生き物であり、時代とともに変化していくものだということ。そして、その変化を「間違い」と切り捨てるのではなく、なぜそう使われるようになったのかを観察する姿勢の大切さを教えてくれます。
「無言の帰宅」のような言葉の世代間ギャップについて考える上で、非常に示唆に富む一冊です。辞書編纂者の温かく、しかし鋭い視点は、私たち定年世代にとって、新しい言葉の捉え方のヒントになります。
📚 『「言葉にできる」は武器になる。』(梅田悟司著)
コピーライターである著者が、相手に伝わる言葉の選び方、考え方を解説した本です。
この本から学べること: 自分の中にある思いを、どう言葉にして相手に届けるか。特に、世代や背景が異なる人とコミュニケーションを取る時に、どう言葉を選べば良いのか。その具体的な思考プロセスが学べます。
ブログやSNSで発信する私たちにとって、「読者に伝わる言葉」を選ぶ技術は必須です。この本は、単なるテクニックではなく、言葉の奥にある「思考」を整理する方法を教えてくれます。定年後にブログを始めた私にとって、バイブルのような一冊になりました。
📚 『大人の語彙力ノート』(齋藤孝著)
教育学者である著者が、大人として知っておきたい日本語の使い方を、わかりやすく解説しています。
この本から学べること: 誤解されやすい日本語を正しく使いこなすための実践的な知識が満載です。語彙力は一朝一夕には身につきませんが、この本では「言い換え」「使い分け」という切り口で、すぐに使える表現が学べます。
ビジネスシーンでも、ブログでも、正確な日本語を使えることは信頼につながります。ただし、この本の良いところは、単に「正しい日本語」を押し付けるのではなく、なぜその言葉が誤用されやすいのか、その背景まで丁寧に説明してくれる点です。
若い世代とのコミュニケーションで「教える」立場になる時、この本の知識があれば、より説得力のある、相手に寄り添った説明ができるはずです。
定年後の学びは、自由で楽しい
現役時代は、必要に迫られて勉強することが多かったですが、定年後の読書は本当に自由で楽しいものです。特に、言葉やコミュニケーションについての本は、ブログを書く上でも、日常生活でも、すぐに役立つ知識が得られます。
もし気になる本があれば、ぜひお近くの図書館や書店で手に取ってみてください。私のように、Amazonで電子書籍版を購入するのもおすすめです。
※気になった本は、以下のリンクからもご確認いただけます





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